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大坪寧樹(介護者・自立生活企画)

 ちょっとしたやりとりや何気ない仕草が、たくさんの人たちの心を掴み、ときにそれは思いもしなかった人に希望を与えていたりしています。そんな存在感は、一矢さんの天性の物だと思います。

 

「生きていても仕方ない」人なんてどこにもいません。そんな当たり前のことを改めて、本当にその通りだと感じさせてくれる…なかなか出来るようで出来ない事です。

 

私も一矢さんに希望を与えられて救われた者の1人です。

 

一矢さんありがとう!

 

地域でお互いに支え合って生きていく同志として、これからもよろしくね!

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山川宗則(介助者・呼及舎)

 一矢さんからは「和尚(おしょう)ちゃん」と呼ばれています。現在のアパートでの自立生活を始める頃に一矢さんとお会いした瞬間、ニコッと私を見て「和尚ちゃん」と呼ばれ、そのまま今に至ります。なぜ「和尚ちゃん」なのか、理由はシンプル(?)。私が坊主頭だから。しかし皆様すぐお気づきのように、坊主頭の人はこの世界にたくさんいらっしゃいます。私は一矢さんにとって、ただ一人の「和尚ちゃん」ではなく、3代目「和尚ちゃん」となります。私と一矢さんが出会う前に二人の「和尚ちゃん」がいらっしゃるからです。事件の後、テレビ取材で一矢さんの元に通われた録音部のスタッフの方も「和尚ちゃん(2代目)」と呼ばれていたそうで、自宅に飾られている写真の中にそのスタッフの方を見つけては「和尚ちゃん」とニコニコされていますし、学生達と一緒に自宅を訪れた大学教授の方も「和尚ちゃん(4代目)」です。みんな「和尚ちゃん」なのですが、一矢さんの中ではしっかり区別がついており、和尚ちゃん同士が同席しても問題ないようです。普段から一矢さんの好きな『忍者ハットリくん』を一緒に観ていると、エピソードの中に「和尚」がよく登場します。そういう時は「あそこにもここにも和尚がいるよー」「和尚ちゃん」と二人で大笑いしています。一矢さんの中では、私は「和尚ちゃん」であり「山川さん」でもあり、私が「和尚だから、お経を読んでみましょうか」と般若心経を諳んじ始めると「やめとくー」ときっぱり拒否されます。和尚は好きだけど、お経は苦手なようです。

 

 一方で私は一矢さんのことを「かんちゃん」と呼んでいます。最初に出会った時、一矢さんは私のことを「和尚ちゃん」と呼び、私は「何てお呼びしたら良いですか?」と順番に「尾野さん」「一矢さん」と呼び名をいくつか挙げて行きました。一矢さんは、どうもピンとこないような表情をされていました。同席されていたお父さん・お母さんから「かんちゃんが好きなようだよ」と聞かされ、私が一矢さんを「かんちゃん」と呼ぶと破顔の笑顔で応えてくださいました。そして、今に至ります。将来、一矢さんの中で「かんちゃん」という呼び名がしっくりこなくなった時は、また二人で一緒に探していきたいと思っています。

 

 このようにお互いの呼び名一つとっても、多くのエピソードやコミュニケーションがあり、日常生活の一つ一つの細部にお互いのやりとりがあります。無数で、双方向で、常に変化するコミュニケーションとお互いの関わりの中で、生活が育まれていきます。これは一矢さんと私だけの話ではなく、社会で生きる私たちの話です。

 

一矢さんのお腹の傷は「意思疎通ができない人間は生きる価値がない」と考える者によるもので、私も日常生活の中でその傷を目にします。一矢さんは生活の中ではっきりと意思を表現し、私と一矢さんは常にコミュニケーションをしています。傷は今も残り続けていますが、他者と他者がお互いに敬意を払い、日常のささやかな細部を創り出していく、そのような生活の営みの中で、一矢さんと私たちはともにゆっくりと歩いているのです。

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