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​退院後は、横浜市港南区芹が谷の仮園舎での生活が始まりました。
そこから地元座間市での支援者つきの一人暮らしによる自立生活を見据えた取り組みが始まりました。

​あれほどの事件の被害に合っているのだから人間不信になって介護者も受け入れてはもらえないのではと凄く緊張しましたが、すぐに名前も覚えてもらえて「また来る?」とメロンを一切れ介護者の口に運んでくれました。一気に緊張の糸が切れて知らず知らずのうちに涙が頬を伝って流れていました。一矢さん、ご両親の優しさが身に染みました。

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それから週に一度、一矢さん、ご両親、介護者で昼食を共にしながら、やまゆり園職員さん達の暖かい協力のもと、

アパート暮らしを開始する2020年8月まで2年間かけて丁寧な関係作りを続けました。地域への足掛かりは、やはり何よりも介護者との信頼関係が重要です。

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大好きな「お姉ちゃん」も良く会いに来てくれました。

​親亡き後の生活を施設でなく地域で支えて行くには「お姉ちゃん」との関係作りも重度訪問介護ヘルパーにとって欠かせない、とても重要な事になってきます。

ケネディー駐日大使(当時)のお招きで、アメリカ大使館にて、事件や一矢さんへの思いをお話ししました。

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この事件の衝撃は世界的なものでした。

アルジャジーラTV(中東カタールの国営放送)の取材に応じる一矢さん。

​取材に訪れた宍戸大祐監督(映画「道草」)
​会いに来てくれるたくさんの方々との交流を通して、少しずつ世界に心を開いて行くようになりました。

 

雑誌「コトノネ」の取材で、近くのレストランで昼食。

取材に訪れた渡辺一史さん(「こんな夜更けにバナナかよ」著者)と

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少しずつ園舎から出て介護者と一緒に外食の機会を設けて慣れて行ってもらいました。

園舎近くのレストランで、メニューを見ながら一矢さんの意思確認をする。この日はNHK​の取材でした。

園のお祭りに訪れた長妻昭さんと

取材や研究、地域自立生活へ向けた会議等々、たくさんの人たちが会いに来てくれて、そんなコミュニケーションを通して一矢さんの世界もだんだんと広がっていきました。

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