神奈川県座間市で自立生活をする尾野一矢のページ
よってけ一矢んち
ピープルファース ト北海道大会に参加しました。
第27回 ピープルファースト大会が2022年10月22日(土)~23日(日)北海道札幌で行われました。

ピープルファーストとは
1973年、アメリカのオレゴン州でひらかれた会議で、ハンディのある当事者が「ちえおくれ」や「知的障害者」とレッテルをはられることが、どんなにいやか、ということをはなしあい「人にどのようにしられたい?」ときかれ、「わたしたちは『しょうがいしゃ』であるまえに人間だ」とこたえたのがきっかけで生まれました。
1991年、「ピープルファースト」の全国組織として、世界ではじめて「カナダ・ピープルファースト」ができました。そして、アメリカにも組織ができ、その考え方や活動が日本でも当事者の運動としてひろがってきました。
「自分たちのことは、自分たちで決める」という親や職員が決めるのではない『自己決定』からはじまった当事者運動です。
(ピープルファーストジャパン ホームページより)
北海道という事で、長時間に渡る移動ができるかどうか、交通手段をどうするか、ホテルでの外泊は大丈夫かなど、色々検討した結果、介護者との外出体験にも慣れて来ているから大丈夫だろうということで人生初の飛行機の旅にチャレンジしました。

空港のロビーにて、緊張する一矢さん

初めは「飛行機やめとく~」と言っていましたが、優しいキャビンアテンダントさんやご両親、介護者とのコミュニケーショ ンで、次第に笑顔がではじめました。
初めての体験にワクワクドキドキの一矢さん

会場のブースでは、映画「道草」(特典映像「尾野一矢さんのそれから」付き)DVDを販売したり、
「かずやしんぶん」を配ったりしました。

いざ飛行機が動き出すとすっかりエキサイティング!


仲間たちとの再会
新しい出会いや

いよいよ全体会の始まり
本場を前に控室で緊張の一矢さん



津久井やまゆり園事件をテーマとしたシンポジウムに登壇する一矢さん。
「意思決定」や「意思確認」という形では言葉にはなかなか出来ない思いが沢山ある。でもそれを自らの言葉で語るのは難しい…そうした気持ちを皆さんが、固唾をのんで精一杯汲み取ろうとしてくれている。
そんな優しい眼差しや息遣いが会場を包み込んで、不思議な一体感が生まれていました。
一仕事終えたら仲間たちとの交流会
一矢さんも初めての体験が沢山で、とても楽しそうでした。
コロナ過もあって、なかなか同じ事業所の仲間たちと触れ合う事も出来なかったので、これが初めての機会となりました。


北海道在住の渡辺一史さん
(こんな夜更けにバナナかよ著者)も、駆けつけてくれて札幌の街の案内をしてくれました。一緒に乾杯!

札幌の夜は更けていく、こんな形で仲間たちと触れ合うのは、とても刺激的だったようで…
二次会の誘いも行く気まんまん!
遅れて来た青春、失われた時間を取り戻せ!


皆んなとても豊かな時間をありがとう!これからも支え合いながら豊かな地域生活の輪を広げていく仲間として、よろしくお願いします!

翌日は、北海道観光。
札幌テレビ塔や、時計台。



クラーク博士の
羊ヶ丘展望台など周りました。

一矢さんの旅はまだまだ続きます。
障害があっても地域で当たり前に暮らせる社会をめざして、
「青年よ大志を抱け!」
ですね。

「私たちのことを私たち抜きに決めないで(Nothing About us without us)」を合言葉に世界中の障害のある人たちが参加し作成された「障害者権利条約」。批准国である日本に対し国連の権利委員会による初めての審査がスイスのジュネーブで2022年8月22日から2日間行われました。知的障害者初の国連障害者権利委員のロバート・マーティンさんは「(やまゆり園)事件を経て、このような施設で暮らす人達が沢山いる事について考え直した事はあるんでしょうか」と指摘。「障害のない人と平等に施設から地域社会で自立した生活へ移行することを目指し期限付きの数値目標、人材、技術、資金を伴う法的枠組みや国家戦略、その実施のための都道府県の義務付けを開始すること」を求めました。にもかかわらず国による地域移行の現状は年々減速しており、いまもおよそ約13万人が施設で暮らしています。次回の審査は2028年、早急にヘルパーの育成など地域の体制つくりを進め「脱施設化」に向けた動きを実行していく事が求められています。