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映画「杳かなる(はるかなる)」

  • 執筆者の写真: 一矢 尾野
    一矢 尾野
  • 3月13日
  • 読了時間: 3分

更新日:6月2日


宍戸大祐監督の最新作、映画「杳(はる)かなる」を観て来ました。

私(大坪)の場合は、どうしても末期ガンで闘病生活を送ってきた時の新田勲さんとの介護関係がイメージとして重なってしまう…。ALS(病状の進行に伴い全身の筋力が失われ、発声や意思疎通,自発呼吸さえも難しくなる難病)で生死の間を揺れ動きながらも今この瞬間を生きる真剣さに寄り添いながら文字盤を読むときや、その微妙な表情や顔のかすかな動きなど、全身から発せられるメッセージを必死に感じ取ろうとする介護者達との集中した関係を見ていると、新田さんと関わっていたときの感覚が呼び覚まされるようにして思い出されてきて、思わず画面に釘付けになってしまいました。「生きていても仕方がない」というような無意識のうちに冷たい眼差しを向けていないか…ここでも深く私達の内なる優生思想は問われています。そして何より響いてきたのは、あの佐藤裕美さんの言葉



        「私の声を奪うな 私をいなかったことにするな」



在りし日の      新田勲さんと大坪   著書「足文字は叫ぶ」  出版記念集会にて
在りし日の      新田勲さんと大坪   著書「足文字は叫ぶ」  出版記念集会にて

新田さんは1970年代の「府中療育医療センター闘争」からまる脱施設、地域での介護保障要求運動のリーダーとして、

一矢さんのような重度の知的障害の方々やALSのような重度の肢体不自由の方々の地域移行を可能にした重度訪問介護制度を形作り、それと同時に利潤を基本とした介護政策に異を唱え、ダイレクトペイメント、パーソナルアシスタント、自選登録ヘルパー、セルフケアマネージメントを実践し、その可能性を「見守り」の文言に託して2013年に亡くなるその瞬間まで介護者と気持ちを一つにして必死で死守してきました。


「どんなにお金を高く積まれても、

それを使える介護の手がなければ紙切れ同然だ」


と言った新田さんの言葉があります。お互いの命を見合う信頼関係がまず最初にあって、そこで初めて生きたお金として使えるようになると言うことだと思います。今や介護関係が「お金」と「契約」のシステムで整備されてきているからこそ、もう一度この言葉の意味を深く噛み締めなければならないのではないかと感じています。そんな関わりを私はずっと記憶に留め、その後の、ともするとビジネスとしてだけ展開していきかねないこの状況を眺めている…そして、亡くなられて3年後、あの忌まわしいヤマユリ園事件が起き、宍戸監督との縁で尾野一矢さんと出会いました。事件もそれ自体知らない世代も増えてきて、人々の記憶から薄れて来ているように感じます…絶対に風化させてはいけない。

 

生きた証を残す事さえ難しい失われた19名の方々の叫びと新田さんの叫びが共に裕美さんの言葉と重なって響いて来るようで、映画を見終えてからも、じわじわと頭の中で何度もリフレインされて来る。


私をいなかったことにするな…

私をいなかったことにするな…

私をいなかったことにするな…


                


主演の佐藤裕美さん, 尾野一矢さんと介護者の三浦さん,ご両親、宍戸大祐監督と横浜の                            上映館ジャックアンドベティにて
主演の佐藤裕美さん, 尾野一矢さんと介護者の三浦さん,ご両親、宍戸大祐監督と横浜の 上映館ジャックアンドベティにて

今は亡き、橋本みさおさんや小田政利さんの姿も懐かしく、会議や交渉の場などでよくご一緒させていただきました。また、みさおさんには新田さんの著書「足文字は叫ぶ」にも寄稿していただきました。ありがとうございました。合掌


皆さんも是非みてくださいね。

      映画「杳かなる(はるかなる)」の公式サイトhttps://harukanaru.com/  





 
 
 

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